氷河期世代・ニート生活

氷河期世代とは何か
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ニートと帰属意識

ニート(NEET)とは、15歳から34歳までの就学や就労、職業訓練を受けていない若者を指します。もともとは英国で使われていた言葉でしたが、日本では日本経済がどん底にあった2004年頃から使われだしたと言われています。ニートという言葉は日本においては否定的な文脈で使われていることが多いようです。

どこかの組織や地域に属していることがアイデンティティとされる日本において、どの社会的組織にも属さず自分の殻にこもっているように見えるニートは不気味に見えるかもしれません。異質なものを排除する傾向が強い日本において、どこにも属さないニートはまさに異物にしか見えないでしょう。

個人らしさが自分自身を定義するではなく、個人が属する共同体が個人を定義する傾向が強い社会においては、どこにも属していないことは自らのアイデンティティを見つけることを困難にすることは確かです。会社員であること、学生であること、地域住民であることなどどこかに属しているということは安心感を与えます

それらが何らかの原因で奪われた場合、逆にとてつもない不安が襲ってきます。失業、退学などで肩書が失ったとき、自分自身を定義するものがなくなるのです。いままで自分自身を定義していたものがなくなる、すなわち、自分がなにものか分からなくなります。集団への帰属意識の高い日本人は、今まで頼っていた分だけ喪失感が大きくなってしまうのです。自分がなにものか分からない状態に陥ります。かつての私がそうでした。

誰にも必要とされていないのではないか

人は他人がいてこそ自分の存在が認識できます。1人で生きていけると思っていても他人がいてこそ自己が認識できるのです。鏡が自分の姿を映してくれるように、他人は自分の鏡なのです。他人の反応を見て自分がどのように認識されているか知ることが出来るのです。例えば、人が喜ぶことをして喜んだという反応が得られれば、自分は嬉しいです。ところが、同じ行動をしても何も反応が返ってこなければ、行動が無価値に思えてきてしまいます。まるで無人島に暮らしているような状態になってしまいます。無人島に暮らすのとは違い、文明の中で生きているはずなのに、当時の私は社会から疎外されているような感じがしていました。電気や水道は使えるのに、まるで無人島に暮らしているかのように感じていました。

未来が見えない

私が学校を卒業したのは、就職氷河期と呼ばれる時代です。中堅レベルの大学を出ても就職口が無く、あったとしても非正規雇用や、ブラック企業と悪名高い企業の求人ばかりでした。就職面接を受け続けましたが、正社員として採用されることはなく、絶望してみずから就職戦線から逃げ出しました。自分が社会人として失格であり、人間としても失格なのではないかという思いに囚われてしまい、そんな自分を認めるのが嫌で逃げ出していました。学校は何とか卒業しましたが、卒業したその日からニートになりました。つまりは属する集団が何もなくなってしまったのです。

ニートからの脱出

私の場合、幸運なのかどうか分かりませんが、1年ほどでなんとか就職先が見つかりました。決して恵まれた環境ではありませんが、なんとか生きていけるような待遇でしたので拾ってくれた会社には感謝はしています。ただ、就職という選択が正解だったのかどうかは今でも分かりません。結局は自分自身を定義できていないから、何かに属することで自分自身が定義できていないことを誤魔化しているだけかもしれません。

雇われて働くだけが選択肢ではない

私の場合、雇われて働くという選択をしました。しかし、才能がある人は起業など別の道を選んだのかもしれません。そもそも、労働者として働くだけが食い扶持を稼ぐ手段ではありません。それぞれの才能を生かすことが出来れば、対価として報酬が貰える時代にはなってきています。多様な働き方に対して、日本が寛容な社会になってくれればいいなと思う次第です。

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